Phys. Rev. Dog

忙しい人のための物理雑学

物理学者を目指す大学生へ

大学で物理を学び、研究者を目指す新入生達にむけてちょっとしたアドバイスを書いてみます

※ 以下はあくまで僕の考える勉強の仕方です。必ずこうしなければならないというわけではありません。何かの参考になれたら嬉しいです。

大学の物理では何を学ぶのか?

既存の物理を学ぶ事を通し、「理論(模型)の作り方」を学びます。
議論の方法を学び、物理的センスと呼ばれる物を身につけます。

大学の教科書の読み方

各分野に名著、定番書がありますが、これらは決して「わかりやすい」とか「簡単」なわけではありません。

名著と呼ばれる教科書の多くは「読み手の物理的センスを磨くもの」です。
ファインマン物理学」「ランダウ・リフシッツの理論物理学教程」などはその代表的なものです。前者は問題の本質を見抜き簡単なトイ・モデルを考え、思考実験を繰り返す事で物理を調べていきます。後者は考えている物理の次元や対称性から理論を構成して行きます。

ファインマンはアメリカの、ランダウはロシアの、共に天才と呼ばれた物理学者です。
教科書を通して彼らの思考法ー物理的センスーを身につけて行くのですが、決して簡単ではありません。最初は難しいと感じるかもしれませんが、それは決してあなたの能力が低いからではありません。よく考え、議論を何度も反芻するうちにあなたの血肉になっていくでしょう。

良く読まれる 名著/定番書の例

大学では複数の教科書を読んで理解を深めていきます。上に挙げたような本は大体2冊目以降に読まれます。
名著は難しいものが多いですが、読めばきっと議論の美しさに感銘を受けるでしょう。

議論の流れを掴みましょう

教科書を読むときには式を追っただけで満足してはいけません。その節では何から出発して何を導いたのでしょうか?自分の言葉でまとめてみましょう。

式の意味を考えましょう

その式の物理的意味は何でしょうか?式の両辺の次元はあっているでしょうか?
その量はスカラーでいいですか?それともベクトルですか?必要な対称性を満たしていますか?
簡単な例を考えて思考実験をし、式が正しいかチェックしてみましょう。

ノートにまとめましょう

半年もたつと人は忘れてしまいます。
未来の自分へのメッセージだと思って丁寧にノートをまとめましょう。
自分の言葉で簡潔にまとめてみましょう。
また、友達に教えたり、いっしょに議論しあうことで理解が深まるでしょう。

大学での勉強の進め方

大学の授業のペースはかなり遅く、また授業のレベルも扱う内容も限られています。そのため自分のペースでどんどん勉強して行く人が多いと思います。
可能なら仲間を見つけて自主ゼミ(輪講)を開くと良いと思います。
友達と議論をするのは勉強になりますし、何よりも仲間がいると楽しいからです。

自主ゼミの進め方

皆で読む本を一冊決めます。少し背伸びするくらいの本が良いでしょう。迷ったら先生に聞けば候補を挙げてもらえると思います。

週毎に読んでくる範囲と担当者を決めます。担当者は授業をする要領で要点を解説して行きます。(発表の仕方がよくわからない人は、上手い人の授業やセミナーを聞くと参考になると思います)

聴衆は物理的センスをフル回転させながら議論を追って行きます。式は正しそうかな?次元は?対称性は?物理的のイメージは?気がついたことがあったらどんどん質問して議論しましょう。わからないこともどんどん聞きましょう。

運動をしよう

これは僕が大学生のうちに知っておきたかった事です。
体調や精神のメンテナンスは重要な研究能力のひとつです。
学生のうちから運動の習慣をつけておくと良いと思います。僕の周囲の研究者はランニングやウォーキングをしている人が多いです。(無料ですし、自分のペースで出来ますからね)
体力がつくと集中力もあがりますよ!

特に理論系の研究者を目指す人は心身の健康が重要です。
鬱病になって引きこもってそのままどこかに・・という人が毎年一定数現れます。
理論系で生き残るにはどんなシビアな環境でも病まない強靭な精神が必要なのかもしれません。
やれる事はやっておくと悔いはないと思います。まずは日々の運動から!

素粒子の論文は誰にでも読めます

www.asahi.com


オープンアクセスが話題になっているようですね。
近年論文購読料の高騰が続いていて、有名な国立大や研究所でも維持するのが難しくなってきています。そんな背景もあって誰でも論文にアクセスできるオープンアクセス化を進めようという世界的な動きがあります。この辺りの詳しいお話はこちらを読んで頂くことにして、僕からは素粒子分野におけるお話をすることにします。

実は素粒子を含む、物理・数学分野では20年前から論文のセルフアーカイブが行われていて、現在 誰でも自由に論文を読むことができます

セルフアーカイブとは研究成果を機関リポジトリや研究者のWEBサイトなどオンライン上で無料公開することを意味し、アーカイブ先としてはarXiv やアメリカ国立衛生研究所 (NIH) の PMC が有名である。物理学の分野では、掲載前の論文であるプレプリントを共有し、同分野の研究者からフィードバックを得る仕組みは文化として定着しており[19]、arXiv はオープンアクセスの成功した事例の一つとして挙げられる[20]。

オープンアクセス - Wikipedia


オープンアクセス化されていても、それが世間に知られていないのはあまり良くないですよね。ここでは arXiv の紹介と使い方の説明をしようと思います。



arXiv とは

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arXiv.org e-Print archive



arXivとは物理・数学分野の人の利用しているプレプリントサーバーです。

素粒子分野では論文誌に投稿する前に arXiv にその原稿を投稿するお約束になっています。査読後、適切に修正したものに差し替えます。論文誌に掲載されるものとだいたい同じものを読むことができます。この仕組みの利点はいくつかあります。

  • 速報性が高い

通常、論文投稿から掲載まで数ヶ月かかります。arXiv では投稿前の論文が掲載されるので最も速報性が高いのです。研究者達は新聞を読むかのごとく毎日 arXiv をチェックしています。

  • 多くの人の意見を論文に反映できる

arXiv に載せると多くの人から意見をもらうことができます。この論文を引いてくれとか間違いの指摘など、他の人の反応を見ながら論文を投稿前に修正することができます。(無反応の事も多いですが・・)

  • 誰でも無料で読める

研究者でなくても誰でも読むことができます。研究者にとっても、いつでもどこからでもアクセスして読めるので便利です



使い方

こちらで分野を選択します。素粒子理論の場合は

大体この辺りです。



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recent をクリックすると最近の投稿一覧が表示されます。このページを研究者達は毎日チェックしています。



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個別ページにいくとアブストラクトが表示されます。右上の PDF から論文がダウンロードできます。
右下には各種、文献管理サイトやブックマークサービスが並んでいますね。



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Reddit や Delicious はあるのに はてなブックマークはありません。 はてながんばれ。超がんばれ。




検索方法

論文の検索には Inspires を使います。
検索の使い方はちょっと癖があります。詳しくは ヘルプを見て頂くことにして、よく使われるのは次のオプションの組み合わせだと思います。

  • a 著者
  • j 論文誌名
  • date 発表年度

これらを and もしくは or で繋げて検索します。


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うまくいかない人は Easy Search を使ってみてください。



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検索結果

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  • (1) PDFをクリックすると論文がダウンロードされます
  • (2) 参考文献用に TeX 表記を生成してくれます。各種文献管理ソフトに対応しています。
  • (3) [レコードの詳細] をクリックすると「何の論文を引用したのか?」「誰がこの論文を引用しているのか?」が一覧表示されます。


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おまけ

セルフアーカイブは問題ないの?

Wikipediaには

eprintによる調査では、約91%の査読付き雑誌が、論文の著者にプレプリントやポストプリントをセルフアーカイブすることを認めている。

とあります。また、これまで arXiv で出版社とトラブルになったという話は聞きません。


arXiv があれば論文購読をしなくていいの?

なかなかそういうわけにはいきません。古い論文(1980年代以前)は arXiv にほとんど載っていないからです。
論文誌の契約を切っていると web 版にアクセスできません。僕はそういった環境にいたことがあるのですがなかなか不便でした。
arXiv に載っていない論文は書庫にコピーを取りにいきます。広い書庫で該当雑誌を探しだし、百科事典サイズのそれを脚立を使って運ぶのはなかなか重労働です。そして、レターサイズでコピーが取りにくい・・。しかも土日は書庫が閉まってしまうので研究に支障がありました。


じゃあオープンアクセスの利点ってなに?

オープンアクセス化が進んだからといってすぐに論文誌の契約を切れるというわけではないと思います。でも 50年後、100年後、論文が十分蓄積されれば状況が変わってくるかもしれません。
また、現在論文にアクセスできない環境にある人たちへのある程度の助けになるのではないかと思います。

素粒子理論ってなに? ー究極の理論を求めてー

究極の理論を求めて

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素粒子理論分野では世界の全てを記述する究極の理論を探しています。現在分かっている限り、この世界は『電磁気力』『弱い力』『強い力』『重力』 の4つの力が全てを決めています。


これら4つの力は元々一つだったのではないかと多くの研究者達は考えています。
現在のところ 電磁気力弱い相互作用 は統一され(電弱統一:ワインバーグ・サラム理論)、そして 強い力 の理論(量子色力学)もすでにつくられています。これらを合わせて標準理論と呼んでいます。


数年前に発見されたヒッグス粒子ワインバーグ・サラム理論の最後の1ピースでした。あの時こそ電弱統一理論、そして標準理論の完成の瞬間だったわけです。だからあんなに騒がれたわけですね。



そして残り一つの重力ですが、こちらはまだ未完成です。
重力を量子力学の言葉で記述するのが非常に難しいことが知られています。


世界を記述するプログラム言語

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素粒子理論の研究者達は主に場の理論』『弦理論』を使って理論を記述します。これらをプログラム言語に例えるならばラグランジアンはそのコードです。実は先に紹介した標準理論も場の理論で記述されていて、ラグランジアンはこんなかんじです。


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世界のほとんど全て(重力以外)を記述するプログラムコードがこんなに短いなんてちょっと意外でしょ?



場の理論と弦理論の特徴をまとめるとこんなかんじです:

場の理論は歴史が古く、経験と知識が蓄積されていて素粒子にとどまらず広い分野で使われています。プログラマーさんのいう「レガシーな言語」というやつですね。どのような理論も近似的には場の理論で記述することができます。非常にパワフルな言語といえます。標準理論も実験と比較し、細かく修正しながらつくられてきたものです。
ただし、場の理論で重力を扱おうとすると理論が破綻してしまうことが知られています。

一方弦理論は比較的新しい言語で、場の理論と比べるとまだわからない部分があります。非常に高度な数学を扱う事でも知られ、使っている人も限られているようです。(他分野に応用しようという動きはあるようですが)
理論の記述の仕方もだいぶ特殊です。場の理論では実験からの要請で理論を記述するのに対し、弦理論では数学的要請から理論をつくります。
「この世界は11次元だ。なぜならそれ以外では理論が破綻するから」といった具合です。
場の理論とは逆に重力を自然に扱う事ができるので究極理論候補の一つとされています。







場ってなに? -量子力学から場の理論へ-

場の理論とは


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場の理論とは現代の物理学で広く使われている言語です*1。力学を拡張したのが量子力学量子力学を拡張したのが場の理論です。



はてなでは量子力学についてすでにご存知の方が多そうなので、
今回は量子力学場の理論の違いについてお話ししてみます。


場の理論では多粒子を扱える


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  • 量子力学では一つの粒子がどこにあるのかを計算します。
  • 場の理論はそこに粒子が何個あるのかを計算します。


例えば 「火曜日22:00に A君 がコンビニにいる確率」を考えてみましょう。
量子力学じゃないだろうというツッコミは置いておいて)
A君にGPSを付けてどこにいるかを追跡することで、「家にいる確率40%」、「コンビニにいる確率5%」・・といった具合に統計的に調べる事ができますね。

それでは「火曜日22:00に コンビニに何人のひとが集まるか推定せよ」という問題ではどうでしょうか?

全世界の人にGPSをつけて同じ事をすれば期待される人数を概算できそうですね。でも、世界には大勢の人がいますし、こうしている間にも人が生まれて来たり、死んだりしています。現実的には無理です。このような場合には「コンビニに固定カメラを設置して人口密度を調べる」という方がよいでしょう。



実は素粒子の世界でも似たような事が起こっていて、粒子や反粒子が真空から無限にでてきたり消えたりしています。このような場合、量子力学で無限個の粒子の問題を解くよりも、場の理論で粒子の密度を扱った方が都合が良いのです。


ディラックの海に空いた穴? それとも反粒子

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昔、ディラックという人が不思議な事に気がつきました。
量子力学の計算によると電子に負エネルギーの状態があるのです。エネルギーは低い方が安定です。なぜ全ての電子は負エネルギーの状態に落ちてしまわないのでしょうか? 

ディラックは真空において負エネルギーの状態は全て満たされていると考えました。
電子は「フェルミオン」といって、同じエネルギーの状態を取ることのできない性質(排他原理)を持ちます。負エネルギーの状態が全て満たされていればそこに落ちることはないということです。人々はこれをディラックの海と呼びました。そしてこのディラックの海に空いた穴こそが陽電子であると考えました。


ところがこの仮説には問題がありました。


ディラックの海では「フェルミオン」以外の粒子(ボゾン)について説明できませんでした。ヒッグス粒子パイオンなど、ボゾン粒子には排他原理がありません。いくらでも同じエネルギーの状態をとれてしまうので、負のエネルギー状態に落ちてしまいます。

また、真空を負のエネルギーの電子が占めているというのなら、その電場はどこに行ってしまったのでしょう?

このような問題点から素粒子の研究者達はディラックの海を捨て*2量子力学場の理論に取って代わられました。現在では陽電子は電子の反粒子と考えられています。反粒子電荷が逆で正のエネルギーを持つ粒子のことです。

おまけ1:反粒子

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作成:Pro2(CC 表示-継承 3.0)


これは泡箱で観察された粒子の軌跡です。色のついた部分が電子・陽電子の対生成の様子を表します。
上から磁場がかけられていて、ローレンツ力でくるくると回転しています。
電子と陽電子電荷の符号が逆なので、逆回転しているのがわかります。

おまけ2:目で見るグルーオン

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Centre for the Subatomic Structure of Matter (CSSM) and Department of Physics, University of Adelaide, 5005 Australia


こちらは「強い力」を媒介する「グルーオン」場の真空中における様子です。アデレードの研究グループがスーパーコンピューターで計算したもので、一般の方向けに視覚化した動画なのだそうです。見た目が楽しいですね。


(詳しい人向けに補足しますと、これは格子量子色力学で生成されたゲージ配位を視覚化した物です。T方向に長い配位を計算し、下から上に動かしているんだそうです。計算セットアップはこちらをどうぞ)




*1:場の理論とは量子力学を多粒子系に拡張したものですが、とくに素粒子理論においては相対論的に拡張したものを指します。

*2:ディラックの海に空いた穴 というアイディア自体は便利で今でも様々な分野で使われています